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「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨?」
本記事はそんな疑問について書いていきます。
- ミニマリストに対して不信感がある
- ミニマリストになりたい
- ミニマリストに興味がある
- ミニマリストの悲惨な末路が見たい(?)
ここ数年でミニマリストという言葉は一気に流行り、聞き馴染みのあるフレーズになってきましたね。
そんな中、ネットでミニマリストについて調べてみると、検索ワードで「ミニマリスト 末路 悲惨」という言葉が出てきました。
なぜこんなネガティブなことが言われてしまうのでしょうか?
私自身、「ミニマリストの末路が悲惨」と言われてしまう理由がわかります。
なぜなら、実際にモノが少ない生活を目指していく過程で「これは悲惨になりそうだな」と感じたことがあり、
さらにミニマリストの生活をする前にはモノが少ない生活をすることに対してあまり良いイメージが無かったからです。
(今ではそんなことは全くなく、夫婦でミニマリスト生活をとっても楽しんでいます。)
今回はそんな経験から「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨?」と言われる理由について書いていこうと思います。
本編に行く前に自己紹介を少しだけさせてください。
私たちは上の写真のように、古い賃貸でモノが少ない生活を夫婦二人で楽しんでいます。
そんな経験の中から本記事を書いておりますので、信頼してみていただけたらと思います。
それでは本編へどうぞ。
「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨」と言われてしまう理由
「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨」と言われてしまう理由は以下の3つです。
- 目的が「モノを減らすこと」に変わるから
- 本能的に批判をするから
- 同族嫌悪による誹謗中傷
それでは順番に説明をしていきますね。
目的が「モノを減らすこと」に変わるから

モノを減らすと空間を広く感じることができるため、スッキリした気持ちになります。
さらには、不要なモノを処分できたという満足感も同時に感じることができるんですよね。
しかし、その快感がやみつきになり「モノを減らすこと」が目的になってしまうと、最終的に「ミニマリストの末路は悲惨」になってしまうのかなと考えます。
(以下はあくまで想像ですが)
たとえば冷蔵庫や食器を手放したとして、その理由が「ただモノを減らしたいから」のような場合です。
もちろん「紙の食器の方が総合的にコスパが良い」「手軽に引越しができる」など、その人の考えがあれば全く問題ないと思います。

求めるものは人それぞれですからね。
しかし、「モノを減らしたい欲」だけが突っ走ってしまい、ひたすら断捨離をし、結果生活が苦しくなるのは違うのかなと感じます。
個人的な考えではありますが、ミニマリストと言うものは手段のひとつに過ぎなくて、本当の目的は
自身が考える「豊かな生活」を送るため
なんですよね。
言ってしまえば、「自分の生活が豊かだ」と感じることさえできれば、モノが多かろうが少なかろうがどちらでも良いのです。
ただ、空間、思考をスッキリさせると『管理が容易になり余計な思考が減り、モノに縛られない豊かな生活に繋がる可能性が高い』
と考えるから、ひとつの手段として「モノを減らす」という行動をとっているのです。
そのため、本当に必要なモノまで捨ててしまい「生活が苦しくなる」のは本末転倒です。
あくまで想像の話ではありますが、このように目的が変わってしまうと「ミニマリストの末路が悲惨」となってしまうのかなと感じます。
ミニマリストの目的については佐々木典士さんが書かれている著書「僕たちにもうモノは必要ない」の内容がとても面白かったです。興味ある方はぜひ読んでみてください。


人間の本能的批判


「人間の本能的批判」ここにも理由があると感じます。
人間はもともと自分が知り得ない情報や、行動していないことに対して本能で批判をしてしまう生き物のようです。(その理由は本記事では深く書いていきませんが、簡単に述べると「肯定するより否定する方が総合的に見てラクだから」だと感じます。)
たとえば、「積み立てNISA」、「メタバース」、「NFT」、「web3」など、ここ数年で飛び交っている言葉ですが、初めて聞いた時になんだか怪しい、怖いと感じた方もいるのではないでしょうか。
この批判の気持ちは自分で実際に調べたり、手をつけてみない限り残ったままになることが多いですよね。
そして、一部の方から「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨」と言われてしまう理由がこの本能的批判にあると感じます。
たとえば下記のような感じですね。
- ミニマリストは宗教っぽい
- ミニマリストは気持ち悪い人が多い
- ミニマリストは正直ダサい
「実際にミニマリストを体験してないけど、雰囲気でなんか好きじゃない」のように批判をしているのです。
私自身も以前は正直、上記のような悪いイメージを持っていたんですよね。
しかし、実際にモノを減らした生活をしてみて初めて気づけたこともたくさんあり、今では減らして良かったと感じています。



「なんとなくの批判」これは自身も気をつけなければいけないと思います。
少しそれてしまいましたが、このような人間の本能的批判により「ミニマリストの末路は悲惨」と、一部の方に言われているのだと感じています。
■参考記事
同族嫌悪による誹謗中傷


3つ目の理由は「同族嫌悪による誹謗中傷」です。
心理学の観点から、人は自分の弱いところと似ていることを批判する「同族嫌悪」というものがあるそうです。
同族嫌悪
webio辞書より引用
同じ種類や系統のものを嫌悪すること。自分と同じ趣味・性質を持つ人に対して抱く嫌悪感。
この「同族嫌悪」でミニマリストを誹謗中傷する例を出してみると。(あくまで想像ですが)
モノが少ないスッキリした生活をしたいけど、なかなか出来ない。それが実現できている人の生活を見て「モノが少なすぎて気持ちわるい、悲惨だ」と逆に妬んでしまう。
自分が実現できていないから、コンプレックスだからという理由で反応してしまうんですね。
このように、「同族嫌悪による誹謗中傷」が「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨」と言われてしまう理由のひとつなのではと感じます。(※同族嫌悪については精神科医の樺沢さん(アウトプット大全の著者)の Youtubeを参考にさせていただきました。)



ここからは偉そうになってしまうかもしれませんが、私の意見になります。
前提としてモノが多い生活にも少ない生活にもそれぞれ良さがあり、合う人、合わない人もそれぞれなので、モノが少ない生活が正解とは限りません。
その中でモノを減らしていきたいと考え、さらにはモノがなかなか減らせなくてストレスを感じている方は、毎日一つでも良いので小さなモノから減らしていくのをオススメします。
我が家も元々はモノがそれなりにあったのですが、いきなりは減らすことができなかったので時間をかけてゆっくり減らしていきました。(2,3年はかかりました)
今では自分が本当に必要だと感じるモノだけに囲まれて満足度の高い生活を送ることができています。
人のことを気にせずに自分のペースでやっていきましょう。
■関連記事
>>断捨離の効率良い方法|コツは「順番」と「基準」を意識すること
まとめ|目的を間違えなければ悲惨なことにはならない
以上が「ミニマリストに待ち受けている末路は悲惨と言われてしまう理由」でした。
1.目的が「モノを減らすこと」に変わってしまう
2.人間の本能的批判
3.同族嫌悪による誹謗中傷
1は「自身の行動」、2,3は「他者からの評価」の観点から書かせていただきました。
以上を踏まえた上での結論は、
「自身の満足とくらしの充実をしっかり考えること」ができればミニマリストの生活が悲惨になることはあり得ない。
つまり、ミニマリストの末路が悲惨になるかどうかは行動次第ということです。
私自身、モノを減らすことが楽しくなり「買うことに罪悪感を感じる」のようになってしまった時があります。
しかし、そんな思考になっている時は正直、ストレスでしかありませんでした。
そこで、目的が変わってしまっていることに気づき、「自身の満足と暮らしの充実」という本来の目的に焦点を当てていったんですよね。
本当に必要なモノは躊躇せずに買うようにしたのです。
そこからはストレスが一切なくなり本当に必要なモノだけが家にある、とても満足度の高い暮らしに変わっていきました。
当時のまま窮屈さを我慢しモノの少なさのみを追い求めていたら、悲惨になっていたと思います。
そして、もしかしたら一部の方から「貧しい、寂しい生活を送っているな」と思われるかもしれませんが、自分たちさえ満足していればそれはどうでも良いですよね。



逆に言えば、周りが気になるのは自分が満足していないことの裏返しかもしれません。
このように、私の経験からも「自身の満足とくらしの充実をしっかり考えること」ができればミニマリストの生活が悲惨になることはあり得ないと感じます。
本記事が一つの考えとして参考になれば幸いです。
それではまた。
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